少し前から、日常的な会話の中でプライベートに踏み込んだ質問や話題を話す人を批判するような記事に多く出会う。
踏み込んだ話題とは、「恋人いるの?」から始まり、「結婚しないの?」とか「子供つくらないの?」、「若いうちに子供は作っておいた方がいいよ」などのことだ。
確かに、あまり親しくない人に踏み込んだ事を聞かれたり、余計なアドバイスをされることを疎ましく感じる気持ちはわからなくはない。
しかし、過剰なほどに、彼らをデリカシーがない!思いやりが足りない!とか悪者に仕立て上げて断罪するような記事や体験談が目に付く。そこまで怒らなくても、、気にしなくても、、というのが正直な感想だ。
私個人の考えとしては、相手だって別に攻撃しようと思って話しているわけではないんだから、適当に流せばいいと思うし、正直に答えたところで何も問題ないんじゃないかと思っている。それに別に嫌ならいやだと言えば良い。
思うに、人間関係を深めることが苦手、もしくは疎ましく思う人が増えたのかなと感じる。相手に一歩踏み込んだ事、(特に自分のウィークポイントだと思っていること)を聞かれると、自分のことを否定されるんじゃないかと感じてしまい、過剰な防衛反応を起こしてしまっているのではないかと考える。
例を挙げると、恋人はいた方がいいという価値観を持っているけれども、恋人を作る積極的な努力をしていない人が、「恋人はいないの?」と聞かれるとモテない自分・努力をしていない自分を否定されているように感じてしまうのではないかということだ。自分に自信がない人ほどそうした傾向が強いように思う。
こういう人は、ある集団の中で深くかかわったりそのためのアクションを起こしたりは面倒でしたくはないけれども、下に見られない一定程度の地位を確保していたいという考えがあるのかもしれない。
往々にいわれることだが、ネットだと、傷ついていない人の意見は出てこない。飲み会で上司にプライベートな質問をされて嫌じゃなかったです!ということは書かれない。ネットには嫌だった体験談が溢れている。当たり前だが+の感情か-の感情の記事・投稿しかない。しかもマイナスな感情のほうが強く感じやすいので数が多い。ニュートラルな感情の体験談に至ってはほぼないだろう。嫌だった体験談が出されると共感する人がたくさん出てきて、あたかも皆嫌がっているかのように錯覚する。(補足:たくさんといっても数が多いだけで割合が多いわけではない。)自分の好みのコンテンツを選んで消費できる昨今では、共感しない人に対してはその体験談自体が目に触れづらいし、目に触れたとしても特に反応しない人が大半だろう。
このような原理で、嫌だった体験談が拡散され、あたかも多数派意見という顔で「嫌なこと」を断罪する雰囲気を形成してしまう。そうすると、これまで気にしてなかった人もそうしたことに気を使わざるを得なくなる。そうして、地雷原を歩くような交流をするくらいならと、他人を遠ざけるような雰囲気が蔓延したのではないか。踏み込んだ質問を避け、当たり障りない話題だけで根のない表面上の人間関係が出来上がっていっているのではないか。
こういう流れから、かつての「縁」社会が解体され人間関係「疎」時代が到来したと考える。
一方で、疎な人間関係のために悩む記事も目に付くようになったのは皮肉なことだ。
直接的に人間関係が疎で寂しいというような問題もあれば、間接的に、密な人間関係があれば発生しなかったであろう問題まで様々だ。
以下、「疎」時代の今後と、それが及ぼす影響、自分なりの解決策をまとめたい
これからますます「嫌だった体験談」が拡散され、ハラスメントの種類が元素記号の種類より多くなっていけば、仲良くない状態から関係を築いていくことはどんどん難しくなる。
このまま歯止めがかからなければ、いずれ会社から忘年会が消え、送別会が消え、歓迎会が消えていくことも考えられる。一部の人には歓迎すべきことかもしれないが、結果として残るのは業務上のみのコミュニケーションに終始するドライな人間関係だ。
残念ながら、こうした雰囲気の中では良い仕事は生まれない。
こうなるとこのドライな雰囲気を突破して人と仲良くできる能力を持った人々の価値が上昇することが考えられるだろう。そしてその他のスキルの価値は相対的に下がるはずだ。
この議論の中で見えてきたものは、日本において技術者等の理系人材の価値が世界的に低く扱われている理由だ。日本は技術者を大切にしないとよく言われるが、これはこれまで疎な人間関係が蔓延してきたことで、コミュニケーション能力の価値が上昇しすぎた結果なのではないだろうか。
つまり、今の人間関係を疎にする流れが止まらなければ、最悪の場合、訪れるのはさらなる日本の技術者軽視加速、理系企業の凋落の未来だ。
こうした流れを食い止めるために私達個人に出来ることはあるだろうか。
まずは、今属している集団に貢献することだ。仕事上でもいいしそれ以外でも構わない。そうすることで、自然と集団の中でのあなたの地位は保証され、びくびく怯えながら過ごす必要は無くなる。
次に、世の中のためではなく自分自身のために、あまり「嫌だった体験談」を気にし過ぎず、人間関係を疎むことなくまわりと良い関係を築く努力を絶やさないことだと思う。そうして身に着けたスキルは現代日本では高く評価され、キャリアをより良い方向に導くだろう。
良い人間関係を築くためには、目の前の一人の人間としっかり向き合うことだ。目の前の人がなんの話題好きで何の話題が嫌いか、その答えは決して「嫌だった体験談」の中にはない。その人とのコミュニケーションの中にしかないのだ。
そして自分がもし人間関係の中で嫌な思いをしたとしてもネットに吐き出すのではなく、目の前の人と向き合って問題を解決していくことが重要なのだと考える。
あなたがこれを実践し始めれば、確実にあなたの周りの雰囲気は変わる。そして日本人ほど雰囲気を読むのに長けた民族はいない。その雰囲気は必ず伝染する。そうしていけば、人間関係「疎」時代からまた次の時代へ進んでいけるのではないか。